1月8日、新たな年を迎えた3学期の始業式はリモートで行いました。

3学期始業式 校長訓話(要旨)

3学期始業式

 冬休みの間、AI(人工知能)について何冊か本を読んでみた。AIとは、コンピュータに知的な作業を行わせる技術のことである。

 現在、教育における扱い方は「AIの性質やメリット・デメリットを理解する」「AIにすべてを委ねるのではなく自己の判断や考えを持つ」という方向性が文部科学省から示されている。要するに、単純に良い・悪いということが言えず、さまざまな考え方が混在している時期ということになる。私たち一人ひとりの考え方でAIのあり方が変わっていくということもありうる。

 例えば、ChatGPT(生成AI)で簡単に作文が作成できるようになったという状況を受けて、昨年度から読書感想文課題を廃止したが、これもAIによる一つの変化といってよいかもしれない。

 また、『AIにできること、できないこと』(藤本浩司・柴原一友 著)という本には、AIでは文脈の判断が難しいという特性があることの例として次のような例文が挙げられていた。

 「富士山の登山道の終点は3,720m地点までであり、剣ヶ峰の3,776m地点までは続いていない。また山頂には『高さ3,778m』と書かれた石柱があるが、これは明治時代の測定値である」 これだけの情報であった場合、現在のAIでは富士山の高さを判断できないのだそうだ。

 私たちは3,776mという正解を知らなくても、「登山道の終点が山の頂上ではない」「剣ヶ峰は最高地点を意味する」「過去の測定値より現在の方が正確」といった知識を総合的に判断して正解にたどり着くことができる。

 また、人間の方がAIよりまだまだ優れている能力として例えば以下のことが挙げられていた。

 1.課題を定める力 : 課題発見力

 2.自分なりの捉え方をする力 : 創造力

 要するに、正確なデータベースを持ち、瞬時にそれを引き出せても、どこで、どう活用するかが曖昧であれば宝の持ち腐れということになる。同時にこれは、飯南町が保小中高一貫教育で育てたい資質・能力とも一致する。

 関連の図書をこの他にも読んでみたが、AIが人間を敵視して攻撃してくる、映画『ターミネーター』のような世界は来ないので安心してAIを使ってよいとされていた。しかし、その一方でスマホの広告がいつの間にか自分好みのもので表示される「リコメンド機能」はあまり気持ちのいいものではない。

 AIはまさに過渡期にある。最初に文部科学省から示された「AIの性質やメリット・デメリットを理解する」「AIにすべてを委ねるのではなく自己の判断や考えを持つ」というスタンスを大切にしたい。

3学期始業式
1月9日朝の飯南高校グラウンド