1月9日に、3学期始業式をオンラインで実施しました。

3学期 始業式 校長訓話(要旨)

 今日は校歌のお話である。3学期始業式

 本校の校歌には誕生日がある。1963年(昭和38年)6月4日である。今から60年前…ということは、校歌は還暦を迎えたことになる。この昭和38年というのは、飯南高校が高等学校として独立した年であり、それを記念して校歌と校章が制定されたという背景がある。本校は、それまでは川本高校赤来分校という「分校」としての位置づけであった。

 生徒の皆さん、校歌は何のためにあるのだろうか。なんとなく古臭くてとっつきにくいものと思っているかもしれない。しかし、通信制で知られるN高やS高にもちゃんと校歌はある。もちろん最近の校歌はJ−POP風であったり、歌詞も現代的でわかりやすい形で作られたりしているが、学校にとって校歌がとても重要な役目を果たしていることは間違いなさそうである。

 なぜ校歌があるのか、といった理由については、オカッパ頭の女の子が叱る某テレビ番組で数年前に検証されているので、ぜひそちらを検索してみて欲しい。

 さて、本校の校歌に戻り、歌詞の分析をしてみたい。

 1番は琴引山や神戸川など学校周辺の自然を織り込んだ歌詞になっている。ちなみに頓原中校歌の歌詞にも「琴引山に見まもられ」「神戸の流れ清らかに」という歌詞が入っている。

 私は1番の歌詞のキーワードは「正力(まさちから)」だと考えている。ただ、この言葉はどれだけ辞書を引いても載っていない。本校の校歌を作詞されたのは、分校時代に国語を教えておられた三上先生であるが、おそらくこれは先生の造語ではないだろうか。ただ、造語ではあるが、意味は小学生でも分かるだろう。この言葉を校歌のサビの部分に持ってきて歌い上げるというアイデアは素晴らしいと思う。

 2番の歌詞について。ここは、1番や3番と比べてかなり雰囲気が変わっている。私は、なぜ急に「紛争」「平和」などが出てくるのだろうと疑問を感じていたが、今回調べてみてその理由が見えてきた。

 それは、校歌が生まれた昭和38年(1963年)という年にヒントがある。この頃の日本は戦後の復興を成し遂げ、経済的に急成長を遂げた時期である。しかし、世界に目を移すと、当時のソ連とアメリカによる冷戦、ベトナム戦争など、平和とは言い難い時代であった。そして、その象徴が1962年のキューバ危機である。これは核戦争の一歩手前まで行ったとされる歴史的に極めて重大な出来事であった。

 あくまでも私の予想であるが、三上先生はこの世界情勢を踏まえて2番の歌詞を作られたのではないだろうか。「紛争の時流を超えて 世界蔽う平和築かん」という歌詞の重みをぜひ改めて認識してもらいたい。

 そして、3番は一転して「理想を持ち、仲良く励まし合いながら学んで欲しい」というストレートなメッセージで締め括られる。

 今年度、校歌を全校合唱で歌ったのは、1学期の終業式のみ。鵬雲祭のミュージックコンテストでも歌われたが、クラスごとに歌う形であった。次の全校合唱は、もっとも大切な行事である卒業式である。在校生がここに参列している意味は、ほぼ校歌を歌うためと言っても過言ではない。「校歌合唱団」くらいの気構えで熱唱してもらいたい。


校歌